こんにちは。

皆様GWは満喫できましたでしょうか・・・

私は、ここ6年程熱が出ていないのですが、2・3日は体調が悪く

寝込んでおりました・・・なので休みがあっという間に終わってしまった気がします。

寝込んでいる際世界卓球を観ていました。

中国には勝てなかったものの銀メダルという素晴らしい試合でした。

自分の子供と同じ年位の選手があんなにも活躍している姿をみてとても感動致しました。

中国と言ったら世界遺産に登録されている、万里の長城ですよね。

こどもたちに残せるものを・・をテーマとしている山本工務店としては

万里の長城は外せないものだと思い、書いていきたいと思います。

万里の長城は、世界七不思議と言われいています。

  1. 「万里の長城」という名前は、当初どこまでも続く城壁の長さを誇張するために付けられました。しかし実際には、万里(中国では約5000kmに相当)をはるかに超える長さの城壁が完成したそうです。
  2. 秦朝の始皇帝が外敵から守るために構築した万里の長城。秦朝は他の6国を制服し国を統一した後、他国の長城を繋げて大長城を作り上げたのです。
  3. 秦朝は紀元前221年から皇帝の死を迎えた紀元前206年まで、15年間続きました。万里の長城の城壁は、秦朝時代以前に他国が作った部分を除いても、2200年以上もの間、その姿を残し続けています。
  4. 1800年以上の年月がかかった城壁の完成。紀元前220年頃から、すでに構築されていた長城部分を繋ぎ合わせ始め、明朝時代の1644年に構築が完了しました。このように長い年月がかかった理由は、多くの時代で長城の建設が中断されたことにあります。例えば、唐の皇帝は城壁の後ろに隠すには国家が強力すぎるとし、長城防衛を放棄しました。
  5. 万里の長城の建設時に多くの農民が命を落としたことから、万里の長城は「世界最大の墓」と呼ばれることもあります。有名な伝説に「長城作りの夫を亡くした女性の悲しみの涙が長城の一部を崩した」という話があるほどです。
  6. 多くの中国人作家、詩人、歴史家は万里の長城の姿を、景色の中を横切る巨大な龍に例えてきました。長城によく似た龍は、帝国の強さと権力の象徴そのものでした。
  7. 万里の長城には大きな亀裂があり、敵の侵入を許すことがありました。モンゴルの統治者チンギス・ハーンは容易に万里の長城を突破し、中国に侵入したのです。
  8. 「万里の長城は月から見える」と言われますが、実際には月から見ることは不可能です。
  9. 万里の長城は徐々に消滅の危機に直面しています。その原因として、気候や観光客による城壁の浸食や崩壊が挙げられます。長城を保護しようとする努力が行われています。
  10. 万里の長城で行われた最後の大きな戦いは、日中戦争中の1938年です。城壁にその当時の銃痕を見ることができます。
  11. 長城の建設に人骨から作られた漆喰が使われているという言い伝えがあります。しかし実際には、米粉から作られた漆喰が使用されています。
  12. 1950年代に、毛沢東は新たな文化を中国の象徴として世に示すため、万里の長城を破壊することを奨励しました。破壊された城壁は近くの村の建物の建設に使われました。それ以来、長城はよりいっそう中国の象徴、そして中国人の誇りとなったのです。

Club Traveler Japan引用

 

(建造方法や材料)

一番古いとされている部分はやはり原始的で、丸太を向かい合わせた道を先ず作ります。
そしてそのなかに大量の黄土を流して行って固めた土塀の様なもので外壁を作りました。

時には黄土の中に藁等の特定の植物を入れる事によって外壁自体の強度を保っていた事も分かっています。

時代が変わると建造方法はどんどん進化していきます。

万里の長城の大部分がレンガ造りになった16世紀には、

黄土を固めた物を焼いて堅くし物が登場します。

そしてそれを外壁に埋め込んで堅牢な長城を建造して行く手法が撮られましたが、

ここまで来ると現在の建築方法と大差はないのではとも思い驚きますね。

 

人の力・想像力って無限大なんだなと感じます。

時代が常に進化していきますね。便利になる分、恐ろしいことも増えたりもしますが・・・

山本工務店は、『こどもたちに残せるものを・・』をテーマにこれからも

より過ごしやすい、より良いものづくりをしていきたいと思っております。